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デヴィ夫人と娘の確執は施設が原因だった!パリに置き去りにした過去

インドネシアのスカルノ元大統領に見初められ、大統領婦人となったデヴィ夫人。

あまり有名ではありませんが、デヴィ夫人には娘さんがいます。

今は仲がいいそうですが、10数年間絶縁状態にあったとのこと。

デヴィ夫人と娘の間にあった確執の原因は、児童養護施設にありました。

今回はデヴィ夫人と娘にあった確執の原因について、詳しくご紹介します。

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デヴィ夫人と娘の確執は施設が原因だった!22歳の時に結婚していた

 

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デヴィ夫人(Ratna Sari Dewi Sukarno)

生年月日:1940年2月6日

出身:東京都南麻布( 旧:東京府東京市麻布区霞町)

日本名(旧姓):根本七保子

身長:159 cm

血液型 :A型

1962年22歳の時に、その時のインドネシア大統領であったスカルノ氏と正式に結婚します。

正式に結婚するまでの何年間かは、愛人として生活していましたが、結婚したことで第3夫人になりました。

そして、その3年後の1965年クーデターが起きます。

スカルノ氏は軟禁状態に。

身の危険を感じたデヴィ夫人はインドネシアの日本大使館に亡命を希望しましたが、国際的立場上の理由で断念します。

この時、第2夫人以外はみんなスカルノ氏の元を離れています。

1967年、子供を身ごもっていたデヴィ夫人は日本に帰国し、都内で出産します。

デヴィ夫人と娘の確執は施設が原因だった!娘カリナを出産

 

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1967年娘のカリナさんを都内で出産したデヴィ夫人。

カリナさんの正式名は「Kartika Sari Dewi Soekarno. Kartika Sari」

カリナ・サリ・デヴィ・スカルノさんです。

デヴィ夫人の両親はすでに亡くなっていましたが、生まれ育った日本での出産がやはり落ち着いたでしょうね。

その後、デヴィ夫人はフランスに亡命します。フランスを選んだのは亡命に寛容な国だから。

そして、パリに移り住みます。

フランスでデヴィ夫人は「社交界の華」と呼ばれ、色んな人と浮名を流します。フランス貴族と婚約したことも。

娘さんも小さかったのにすごいですね。

パリではお化粧も変わったというデヴィ夫人。

 

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ジャンルイシャレルの服を着てパーティーへ出掛けた、と自身のインスタでコメントしています。冬にはカリナさんと2人でヴローニュの森を散歩したり、スイスのゲシュタードでスキーを楽しんだりした、とのこと。

殿方ばかりにかまけていたわけではなさそうです。

そしてどうやら、娘さんの面倒や家のことをしてくれる、メイドさんがいたとのこと。

庶民には想像もつきませんね。

デヴィ夫人と娘の確執は施設が原因だった!カリナ施設へ

 

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デヴィ夫人の娘さんに対しての教育方針のひとつに、「上流階級でも通用するしつけを」ということがありました。

デヴィ夫人も実際、パリの社交界に出入りしていたので、当然のことかもしれません。

社交界に入ることができれば、上流階級の殿方との結婚も出来ます。異国で日本人である娘が苦労せず、一生安泰して暮らせるので、デヴィ夫人なりに娘のことを思ったのでしょう。

しかし、マナーはともかく、上流階級の人々とのお付き合いはお金がかかります。

そこで、デヴィ夫人は単身インドネシアに渡ります。

1970年に亡くなったスカルノ氏の遺産を受け取ること、そしてインドネシアに石油関連事業を興すことを目的とした渡航でした。

その際、娘のカリナさんはパリに置いていきました。

これも、母であるデヴィ夫人が娘の身を案じてのこと。

今よりもずっと治安が悪かった国で、しかも亡命した身です。危険も感じたでしょう。

実際、デヴィ夫人は元大統領夫人としての外交的立場も失っており、日本の政府や企業も後ろ盾にはなってくれなかったといいます。

しかし、子供だったカリナさんにはそんな事情まで分かるはずもありません。

「母親に捨てられた」と思っても仕方ないですよね。

そして、頼りだった世話をしてくれていたメイドさんが高齢のため、故郷に帰ってしまいます。

そのため、身寄りもないカリナさんは施設に入れられることに。

この時娘のカリナさんは11歳。小学生5年生くらいですね。

どんなに心細かったことでしょう。

これが、母娘の確執を産む原因となりました。

デヴィ夫人と娘の確執は施設が原因だった!カリナ結婚

1991年デヴィ夫人はアメリカ・ニューヨークに渡っています。

詳しく書かれていませんが、カリナさんも一緒だったと思われます。

そして、カリナさんが2005年結婚しますが、その結婚式には母親としての参加は許してもらえなかったということです。

なんとか娘の花嫁姿が見たいデヴィ夫人は「母親としてではなく、一般のゲスト」として参加させてもらえることになりました。

この一件からしても、確執は相当のものだったことがわかります。

デヴィ夫人と娘の確執は施設が原因だった!現在の母娘の仲は?

 

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カリナさんが結婚して2年後の2007年、息子さんを出産します。

長男のキランくんです。

出産したことで、母であるデヴィ夫人の気持ちが少しわかったのでしょうか。

それから、デヴィ夫人とカリナさんの仲は雪解けになります。

今では、孫のキランくんとも、娘のカリナさんともよく会っているとのこと。

2人の写真も頻繁にInstagramにアップされています。

お孫さんのキランくんのことが、とっても可愛くて仕方のない様子。

 

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テレビに出ている時よりも、お顔が優しい感じがしますね。

なにはともあれ、キランくんのおかげで、デヴィ夫人とカリナさんの関係は元通りに。

よかったですね。

クリスマスなど大切な日は家族と過ごしているとのことです。

そんなデヴィ夫人は現在、家族ではない女子大生と一緒に住んでいます。

娘さんやお孫さんのように感じているのでしょうか。